私は「生きづらい」と感じてから根本原因にたどり着くまで、15年もかかりました。
どうしてもっと早く気づけなかったんだろうという思いが強いです。
もっと複雑性PTSDを多くの人に知ってもらいたいです。
ということで私が複雑性PTSDだと気づくまでの道のりをまとめました。
複雑性PTSDとはなにか?
複雑性PTSD(Complex post-traumatic stress disorder)とは、組織的暴力、家庭内殴打や児童虐待など長期反復的なトラウマ体験の後にしばしば見られる、感情などの調整困難を伴う心的外傷後ストレス障害(PTSD)のことです。(Wikipediaより引用)
一般的にトラウマとかPTSDと呼ばれる「心的外傷後ストレス障害」とは、同類の病ではあるものの、その過程や予後を見比べると別物のようです。
発症の原因となるもの
■家庭内外傷
・家族からの暴言
・親の不仲、離婚
・家庭内に居場所がない
・親子関係からのストレス
・虐待
・性的外傷
・引っ越し
■家庭外外傷
・いじめ、ハラスメント
・性的外傷体験
・災害、事故などのPTSD
主な症状
- フラッシュバック(再体験・侵入)
- 回避・まひ
- 過緊張・見捨てられ不安・過剰適応
- 否定的認知
- 解離
- 発達障害の症状
発症の原因・症状に関しては、こちらのサイトから引用させていただきました。

私が複雑性PTSDだと気づくまで
私のこれまでの病み歴史
幼少期からなんとなく生きづらさを感じてはいたものの、大学生まではそこまで困るという事はありませんでした。
本当の生きづらさを感じ始めたのは社会人になってからです。
新卒で建設関係の事務員として入社しましたが、とても息苦しく、通勤がどんどんしんどくなっていきました。
事務員以外は全員男性で、若い人というよりおじさんが多かったです。
入社から半年で出社できなくなり、退職しました。
それから数年後、私は新たなスタートを切りたいと、広告関係の営業マンとして働き始めました。
新規開拓メインでもちろんノルマもあり、入社して数カ月は特に激しい競争にさらされました。
そうして約半年ほどたったころ、憂鬱な気分と同時に、お客さんとの会話中に涙が止まらなくなりました。
心のバランスが崩れていると気づいた私は、その時初めてメンタルクリニックを訪れました。
軽い鬱症状という事で処方されたのは、抗不安薬とモチベーションを上げる薬の2種類で、私にははっきりとその効果が感じられました。
薬が効いている間は、不安がなくなり、モチベーションも高まり、人と会う事に全く不安がなくなっていました。
結局、それから7年ほど薬は飲み続けました。
しかし、徐々に効かなくなっていき、私の心は再びストレスに太刀打ちできなくなっていきました。
その後も転職を繰り返し、結婚し、営業職を離れ、いまはもう薬は飲んでいません。
発達障害、不安障害だと思っていた
仕事をしていく中で、自分を追い詰めたのは、緊張感・不安感だけではありませんでした。
ケアレスミスが多く、自分はダメな人間だと思うことが多くありました。
直前に聞いた会話内容や名前を忘れてしまう。
落ち着きがない。集中できない。 …etc
ひとつのHPとの出会い
もがきながらも過ぎていく日々の中で、どうしても自分という人間への疑問が消えず、気づけば自分の症状について調べ続けていました。
そんなとき、偶然出会ったホームページが自分を変えるきっかけになりました。
それが上記でも引用させていただいたBCCさんのHPでした。

わたしはこのHPに出会ったことで、自分が複雑性PTSDなのだと気づくことができました。
中でも一番大きな気づきになったのは、複雑性PTSDの人に発達障害の症状が現れるという事です。
一致する点が多く、心の底から納得でき、救われたような気持ちになりました。
もちろん原因を知っただけでは、症状の改善には至りませんが、自分という人間を少し理解できたことで漠然と前に進めると感じました。
と同時に、自分に気づくまでちょっと遠回りしたなとも思いました。
まとめ
私が調べた感覚では、複雑性PTSDという概念はまだまだ認知されていないと感じます。
漠然と生きづらさを感じているという方は、この世に数えきれないほどいると思います。
もっと複雑性PTSDが世に広まってほしいし、予防方法・治療方法を共有してほしいなと感じます。
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